リリエンタールの末裔

とりあえず今回は夏らしくさわやかな短編が含まれる短編集、「リリエンタールの末裔」を紹介したいと思います。 表題作リリエンタールの末裔の舞台は陸上の大半が海に沈んだ未来。作者上田早夕里の代表作の長編、「華竜の宮」、「深紅の碑文」や他の短編集に収録されている「魚船・獣舟」「完全なる脳髄」などで構成される「オーシャン・クロニクル」シリーズの中の一つですが、独立して楽しめるので問題ありません。物語の主人公はわずかに残る陸地で暮らす小さな部族の少年です。この部族の子供の遊びとして手作りの凧でほんの一瞬浮かんで遊ぶというものがありました。多くの子供は大きくなるに従い飽きていきますが、唯一彼だけはやめようとせず、村で管理する人工知能に質問する機会が与えられた時、空を飛ぶ方法を質問します。人工知性はグライダーで飛ぶ海上都市の富裕層で構成された同好会の存在を教え、彼の夢をかなえる日々が始まりました。 主人公である少年は部族の土地から海上都市へ向かい、やがて成長していきます。ただ空を飛ぶという純粋な夢を叶えるために様々なものをあきらめ、社会の不条理に向き合わなくてはならなくなりますが、それでも夢を忘れず前に進み続ける姿はとてもさわやかで勇気づけられるものです。 バイオフィードバック式の無人探査機の操縦士たちを描いた「ナイト・ブルーの記録」では無人機と一体化した人々が手にする新しい感覚が描かれます。無人深海探査機の情報を操縦士の感覚にフィードバックする新方式の探査機を操縦していく中で克明に描かれる共感覚を手にしていく様は、一種の障害であると世間に結論付けられてしまいますが、操縦士はそれは新しい感覚であり、素晴らしい世界への扉なのだと語ります。機械によって生み出される新しい感覚と世界を美しく描き出してくれる短編です。 中編「幻のクロノメーター」は実在する時計職人ジョン・ハリソンの経度測定のための航海用クロノメーター製作とファーストコンタクトを組み合わせた歴史改変SFです。 18世紀、経度を図るために正確な時計を作ったものには賞金が与えられることになっていました。時計職人ジョン・ハリソンはH1~H5までの5つの時計を作り、航海に十分な精度を持ったクロノメーターの開発に成功します。一方で時計の部品として使うことで一切の誤差なく時間を計ることのできる不思議な石が発見されます。かつてハリソンの家で過ごした女性の視点で語られる物語は技術に挑む人々を力強く描き、そして一つの発見によって私たちの知る歴史から大きく変化した世界の描写へとつながっていきます。この二つを破綻なく自然に結び付けているのがこの中編の素晴らしいところです。 もう一つ収録されている「マグネフィオ」では昏睡状態の夫の脳波を磁性流体によって視覚化しようとする挑戦と、記憶や感情にまで踏み込んでいく技術を肯定にも否定にもよらず描いていく物語です。 機械や技術発展を描く一方で、その技術を開発するだけでなく技術に影響をうけ人間自体が変化していく様を描き、技術に人々が注ぐ情熱ををしっかりと描写する、技術者を目指す人たちに是非読んでほしい短編集です。 www.hayakawa-online.co.jp