fidocpbhmの日記

SFや科学技術が好きな存在。本紹介などをメインにしていきます

黄衣の王 感想

「SIGNALIS」というSFホラーゲームをプレイし、「黄衣の王」がクトゥルフ神話の架空の産物ではなくクトゥルフ神話誕生以前から存在する短編集だと初めて知った。

playism.com

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もともとはロバート・W・チェンバースという作家の書いた短編集、およびこの短編集に出てくる発禁とされた戯曲、「黄衣の王」が存在し、これを読んだラヴクラフトクトゥルフ神話に取り込んだものらしい。 そんなわけでペーパーバック版の黄衣の王を購入してみた。

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実際の短編集には全10編が収録されているが、今販売されているものは黄衣の王が関係する4編のみが収録されている。 収録されているのは「名誉修繕人」「仮面」「ドラゴン小路にて」「黄の印」。 出版後世界各地で読んだものが精神に異常をきたし、政府や教会などから発禁処分とされた戯曲「黄衣の王」を読んでしまった者たちの末路が描かれる。 「名誉修繕人」は1920年から公営永眠所が運営されているワシントンが舞台。武具屋の上で「名誉修繕業」という奇妙な業務を営むワイルド氏と彼に入れ込むカステインは、二人して奇妙な計画を進めていた。そのためにはカステインの兄にある条件をのんでもらう必要があったのだが?舞台設定、主観視点、どこから狂っているのかわからない登場人物たち、と筋書きが読める一方で薄気味悪さが常に付きまとう。 「仮面」は漬けた生物を大理石に変えてしまう奇妙な液体を発見した芸術家たちの恋愛・友情物語。一見するとハッピーエンドのように終わるのだが、考えてみると後味が悪い。 「ドラゴン小路にて」は黄衣の王を読んでしまった人物が救いを求め教会へと行くものの、そこで奏でられるオルガンの響きに邪悪な意図を見い出してしまう。 「黄の印」では若い画家と彼のモデルが仲睦まじく仕事をしている傍ら、薄気味悪い男が町の教会で守衛をしていると評判になっていた。 前半2編、特に「名誉修繕人」は文章全体から漂ういびつさが秀逸で、後半2編もただ関わってしまっただけで自身にはどうしようもない邪悪に翻弄される不条理さに今日のコズミックホラーの原点を感じることが出来た。

ラヴクラフトに影響を与えたというのも理解できる作品群であり、むしろ明確な設定が付与されてしまう前の根源的な恐怖を味わえるものだった。

ところでwikipediaによると黄衣の王に本来収録されているはずの残り6編は怪談風の作品が3編、恋愛小説がもう3編らしい。 「黄の印」は半分ほどが画家とモデルの恋愛小説なのだがこれはこれで面白かったので、ぜひ全編通して訳してはもらえないものだろうか。 ぜいたくを言えば初版本の表紙で。

おすすめスチームパンク小説

あちこちでモチーフとして取り入れられるスチームパンクですが、純粋なスチームパンク小説まとめはあまり見ないのでこれまで読んできた中でお気に入りのものをまとめていこうと思います。

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ヴィリコニウム 感想

ヴィリコニウム パステル都市の物語 を読み終えた。 帯にはスチームパンクの祖型、風の谷のナウシカの先行作など魅力的な文言が並んでいる。

4本の短編と1本の中編からなる形式で、午後の文明と呼ばれる絶頂期の文明が衰退したのち、残された都市ヴィリコニウムとその周辺で展開していく。

帯にもあるように今やSFとしては比較的見かける設定になったものだが、この作品の魅力は幻想小説的に展開される不確かな物語と静かで暗い描写にある。

斜陽の文明は陰鬱な美しさを放っており、その中で生き抜こうとあがいたり過去の因縁を清算しようとする人物たちが独特の暗さと輝きを放つ。

最後の中編ではこれまでの短編に登場した人物が登場するが、立ち位置や来歴、結末は大きく異なる。解説ではパラレルワールドなど今風な解釈を披露しているが、この物語の場合は長い時間の中で同様の歴史が何度も繰り返されている、と考えたほうが面白い気がした。

総じて文体と雰囲気を感じ取る作品であり、その陰影には魅入られるものがある。 スチームパンクとは違うが、とてもいい本だった。

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歴史改変SF パヴァーヌ

キース・ロバーツ著の小説、「パヴァーヌ」を読んだ。

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パヴァーヌとは16世紀ヨーロッパの行列舞踏のことらしい。

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16世紀にエリザベス女王が暗殺されスペイン無敵艦隊によってイギリス、欧州全土がローマ法王支配下にはいる。 教会の下、科学の発達は抑圧され産業革命の起きないまま20世紀を迎える。 そんな世界で蒸気機関車(ロードトレインと呼ばれる道路上で貨物車を連結し走らせるもののようだ)を使う運送業者、国中に張り巡らされた腕木通信網の通信手、女城主などが不条理に巻き込まれ、彼らの決断がつながってやがて反乱の火の手が上がっていく。

ここから先はネタばれ全開なので未読の方はここでブラウザバックをお願いします。

この物語の特徴はやはり時代設定だろう。16世紀の終わりから数百年にわたって文明が停滞した20世紀、それは本来の歴史を知る読者にとってはある面では封建的であり、ある面では牧歌的に感じられる。 閉ざされたもう一つのヨーロッパでは法王庁が重税を課し、科学の発展を抑圧している。内燃機関は容量が規制され、石油にも重税が課されており、翼車と呼ばれる帆と内燃機関を組み合わせた車と貨物用蒸気機関車しか存在しない。 作品の最後においてついに法王庁に対する反乱が始まるが、そこで使われるのは弩にわずか数門の大砲、マスケット銃などだ。 住人たちにとってこの世界はディストピアだが、もう一つの歴史を知っていれば違う視点が生まれる。 20世紀に至っても内燃機関は使えず、人々は生まれた場所にとどまって暮らすしかない。民主主義は生まれず、教皇庁がすべてを決定している。 しかしこの世界では2度の大戦も起きず、全体主義も生まれず、強制収容所が作られることもなかった。 そして物語の終わり、教皇庁が倒れ長い年月が経ち、原子力発電所すら作られるようになった時代において、教会は急速な進歩を押しとどめる役目を持っていたこと、かつて世界は急速な進歩の果てに滅んだことが断片的に語られる。 進歩を推し進めれば身の丈に合わない力をふるうこととなり、抑制すれば旧来の支配は温存される。そして進歩を押しとどめようとしても内燃機関は生まれるし、腕木通信のギルドは秘密裏に無線通信技術の開発を進める。 一方で各短編のディテールが壮大な歴史絵巻とその中で生きる個々人を接続していく。 運転手の物語では美しい蒸気機関車「レディ・マーガレット」の操縦方法が綿密なディテールで描かれ、未発達な交通網の中を野盗におびえてはしるもう一つの20世紀をたっぷりと味わうことになる。 そして通信ギルドに入った青年は真冬の通信塔に配属され悲劇に見舞われる。 古ぼけた漁村に時折訪れる白い船だけを楽しみにする少女、絵を描くことを楽しみにする修道士など、様々な視点によってもう一つの欧州が厚みを持って立ち上がってくる。 進歩の功罪を問うSFとして、もう一つの歴史を懸命に生きる人々の群像劇として、素晴らしい出来栄えの作品だった。

世代宇宙船を扱ったSF小説

タイトル通り、これまで読んできた中で世代宇宙船を扱ったSF小説をざっくりとまとめていきます。

紹介作品目次

宇宙の孤児

ハイラインの書いた世代間宇宙船ものの大本といえる一冊。 長い旅路の中でかつての知識は失われ、人々は自分たちの住む場所を「船」と呼ぶが船が何を意味するかは知らない。 優秀な青年ホイランドはその知性から「科学者」と呼ばれる特権階級へ招かれるがある日ミュータントと呼ばれる敵性存在に拉致されてしまう… と、この時点ですでに物語のスタンダードはある程度確立しています。 中編と呼べる程度の分量でサクサクと読めますし、実際面白いのですがやはり現代に読むとあちこちに古さがあるのは否めません。

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寄港地の無い船

宇宙の孤児への返答として書かれたともいう一冊。 船内には異常繁殖した巨大な植物が繁茂し、人々は前部人と呼ばれる謎の存在を恐れながら暮らしている。 ある日狩人ロイは司祭マラッパーから船の前部へ向かわないかと誘いを受け旅を始めるが… ただでさえ狭い船を植物が覆いつくした息苦しい船内をひたすら進み続ける本作は宇宙の孤児とはまた違う圧迫感をもたらします。 終盤、宇宙船の行く果てが明かされる悲壮感が秀逸な一作であり、今読んでも十分楽しめる作品です。

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ブレイキング・デイ

2023年刊行の最新世代間宇宙船もの。 AIに支配された地球から逃れ132年が経過した宇宙船団は目標星系に近づき減速のための準備に追われていた。 そんな中機関部訓練生ラヴィは宇宙服を着ずに宇宙空間を遊泳する少女を見かける… と、現代風にリファインされた世代間宇宙船ものとしてとても面白い一作です。 まずこの作品ではある程度運営がうまくいっており、132年が経過した現在でも宇宙船を制御できています。 一方でインプラントから思考で機器類を制御するなど船内で独自の発展を遂げているところも見所です。 また宇宙船の構造や恒星間航行への理解も進み、8つのリングと宇宙塵対策のシールドを備えた宇宙船3隻で船団を組む、というこれまでの世代間宇宙船ものより解像度の上がった構造をしています。 また宇宙船や旅の目的について知ったまま年月が経過する中で作られた独特の文化や価値観の描写も魅力的でしょう。 一方、これまでの世代間宇宙船ものでも描かれてきた閉鎖環境での少人数集団がどうしても陥る寡頭政治もしっかりとあり、物語は彼らが隠蔽している事実をめぐってのサスペンスとしても展開していきます。 全体を通じて世代間宇宙船をテーマとしたSFに新しい風を吹き込む一作でした。

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生存の図式

最近新訳が出ましたが初版は40年以上前。 第二次大戦中に沈没したタンカーと恒星間宇宙を渡る異星人の物語が交互に展開されていく。 タンカーの内部では奇跡的に生存可能な環境が生まれるものの、海底に擱座しやがて住めなくなることは明白だった。 一方恒星の肥大化によって滅びの運命にある惑星を脱出した異星人たちも次第に減っていく物資の中で厳しい選択を迫られる。 極限環境での生存のための格闘を繰り広げる両者が最後にいかにして交わるのかが熱い作品でした。

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流浪地球

こちらは同名の短編集の一編。この作品では世代間宇宙船ではなく、地殻から直接エネルギーを引き出し地球を移動させる、というとんでもない方法で恒星間航行を行います。 いずれ起こると予想された太陽の暴走から逃れるための策ですが、なかなか太陽の暴走は起こらず、地球の軌道が広がり地表での生存が困難になっていくにつれ人々の間で疑念が高まっていくさまが秀逸な作品でした。

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グレッグ・イーガンの「直交」三部作なんかも該当する気がしますがまだ読めていませんね。 また今後新しいものを見つけたら適宜更新していきたいです。

天涯の砦

今回は同じく事故に見舞われた宇宙ホテルを舞台としたSF小説、「天涯の砦」を紹介したいと思います。 物語の舞台は宇宙ステーション「望天」。最新の宇宙ホテルとして盛況な宇宙ステーションですが、破滅的な事故が発生、ばらばらに分解し宇宙を漂流することになります。分解したほとんどの区画が空気が抜ける中、奇跡的に空気が残った区画がありました。そこにいたのは技術者の男性、成金の一人娘、天才少年、素性の分からない医者など一癖も二癖もある人物たちでした。 奇跡的に生き残ったとはいえ、空気が残っているのはそれぞれがいた部屋の中のみ。廊下といった広い共有区画は完全に真空になっており、それぞれは換気口を通して会話することしかできません。そんな中で彼らはどうにか協力し、次第に減速を始める宇宙ステーションの残骸の中で生き残りを図ることになります。 さて、パニックものの作品は映像作品をはじめとして多くありますが、(正直あまり詳しくないですすみません)宇宙を舞台としたものはあまり多くありません(まあ予算の問題とかいろいろ理由がある気はしますが)そんな中、この作品は宇宙ステーションの事故から始まるパニックものをしっかりしたリアリティで描いてくれます。 読んだのはだいぶ前なので今読み返せば結構粗が見つかるかもしれないのですが、壁一枚を隔てた先に真空が広がる極限環境で追い詰められていく人々を描いた作品として、ぜひ読んでもらいたい1作です。

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